スペシャルサポーター

 スペシャルサポーター

船井勝仁さん(株式会社船井本社)

船井勝仁さんプロフィール

1964年、大阪府生まれ。1988年に船井総合研究所へ入社し、1996年に取締役、1998年に常務取締役に就任。2008年には創業者・船井幸雄氏の想いを受け継ぎ、株式会社船井本社の社長に就任した。二代目として、スポーツや文化を通じた「縁づくり」にも意欲を注ぎ、多彩なプロジェクトを手掛けている。

船井勝仁さんより応援メッセージ

私は、スポーツを通じて一人ひとりが「先駆者」としての意識を高め、日々の在り方で世界を変えていけると信じています。これからは組織に頼るのではなく、自分自身の能力を磨き、主体的に行動する時代が加速していくと感じています。
「ボールひとつが繋ぐ縁」の活動は、まさにこの考えを具現化する場であると感じています。ボールを通じて、縁が結ばれ、国境や世代を超えて人と人が支え合う意識が育まれます。私もこの場で、子どもたちが自信を取り戻し、互いの個性を尊重しながら未来を切り開く姿を何度も目にしてきました。
スペシャルサポーターとして、ボールが運ぶ「縁の一歩」が集まることで大きな変化を生むことを確信し、この活動を心から応援しています。


G.G.佐藤さん

G.G.佐藤さん プロフィール

元プロ野球選手。千葉県出身。西武ライオンズや千葉ロッテマリーンズなどで活躍し、2008年には北京オリンピック日本代表としてもプレー。豪快なバッティングと明るいキャラクターで多くのファンを魅了してきた。引退後は野球解説や指導、メディア出演など幅広く活動し、野球の普及や発展に尽力している。

G.G.佐藤さんより応援メッセージ

野球は、私の人生に大きく影響を与えてくれたスポーツです。しかし、今、野球がオリンピックの正式種目として認められない現実があります。その理由のひとつが、世界で野球をプレーする国がまだまだ少ないということ。

「ボールひとつが繋ぐ縁」の活動は、まさに“ボール”を通じて世界中の子どもたちにスポーツの楽しさと出会いのチャンスを届けています。私も、野球を通じて多くの人と出会い、成長することができました。だからこそ、今度は自分が“ボールを繋いで誰かに届ける”側になりたいと思いました。

この活動が広がることで、野球がもっと世界中に広まり、いつかまたオリンピックの正式種目として認められる日が来ると確信しています。そして、オリンピックと野球が私にくれた成長や感動を、次の世代や世界の子どもたちに繋いでいきたいです!


 シルバ・ジョゼ・レイナルド・フェルナンデスさん

シルバ・ジョゼ・レイナルド・フェルナンデスさん プロフィール

1976年生まれ、ブラジル出身。​高校時代に来日し、渋谷幕張高校、立正大学でプレー。​湘南ベルマーレやヴェルディ川崎などでの選手経験を経て、指導者としての道を歩み始めました。​2003年から2022年まで岐阜県瑞浪市の中京高校サッカー部のヘッドコーチを務め、現在は厚木ハヤブサFCでジュニアユース監督を担当しています。​また、FC岐阜のトップチームコーチや、芸能人女子フットサルチーム「ガッタス・ブリリャンチスH.P(2014年満了)」のコーチも歴任。​日本での指導歴は20年以上に及び、多くの若者の育成に尽力してきました。​そして、2024年には、「NPO法人 ボールひとつが繋ぐ縁」とのタッグにより、サッカーの神様ジーコさんをお迎えして岐阜県瑞浪市への凱旋イベントを実施することができました。

シルバ・ジョゼ・レイナルド・フェルナンデスさんより応援メッセージ

サッカーボールは、言葉や文化の壁を越えて人々を繋げる力を持っています。​私自身、ブラジルから日本に来て、多くの困難を経験しましたが、サッカーを通じて多くの人々と出会い、支えられてきました。​この経験から、サッカーを通じて子どもたちに夢や希望を与える活動に深く共感しています。​NPO法人『ボールひとつが繋ぐ縁』の取り組みは、まさにその理念を体現しており、私も微力ながら応援していきたいと考えています。​サッカーを通じて、世界中の子どもたちに笑顔と希望を届けましょう。


 間瀬秀一監督


間瀬 秀一 監督 プロフィール

海外5ヶ国(アメリカ・メキシコ・グァテマラ・エルサルバドル・クロアチア)での選手生活の後、ジェフユナイテッド千葉でオシム監督の通訳を3年半。S級指導者ライセンス取得後ブラウブリッツ秋田、愛媛FCの監督、モンゴルサッカー代表を経て現在に至る。

間瀬 秀一監督より応援メッセージ

5ヶ国での海外生活の経験から自分は世界市民だと感じるようになり、国というボーダーを超えて世界中の子ども達にサッカーを楽しむ機会を増やしてあげたい!また彼等の人生がより豊かになることを心より願っています。そんな中NPO法人ボールひとつが繋ぐ縁の海外支援活動を知り、応援させて頂いてます。


 森岡薫選手

森岡薫選手プロフィール

ペルー出身、12歳父親の仕事で日本に移住。21歳でフットサルを始める。
個サルから関東フットサルリーグのチームに加入、2006年に大塚製薬/BANFF(のちの名古屋オーシャンズ)に誘われ東海フットサルリーグで活躍。
2007年にFリーグが発足し初代王者となる。その後の活躍も華々しくFリーグの得点王4回、MVPも4度受賞。
2016年には中国フットサルリーグ、2020年からはスペイン・プリメーラ・ディビシオンにてプレー
ペルー代表からオファーを受けるも日本代表になることを目標とし2012年8月に帰化、日本代表選手として同年のワールドカップに出場。

森岡薫選手の言葉

私はペルーにルーツがあり日本に帰化した後も何か恩返しできればと常々考えてきました。現場仕事に明け暮れていた私の人生をサッカーボールとボールで繋がった方々との縁が素晴らしいものにしてくれました。

今回、NPO法人ボールひとつが繋ぐ縁の海外支援活動を知り、世界の子ども達がより良い人生を送れるように応援させて頂いております。


 バリ島の兄貴(丸尾孝俊)

バリ島の兄貴(丸尾孝俊)プロフィール

大阪生まれ。3歳で母親が家を出る。中学校卒業後、看板屋に丁稚奉公。 その後、吉本興業事業部に入社。独立。トラック運転手からセミナー会社経営などを経て28 歳で単身バリ島へ渡る。手持ち資金18万円、的屋業からはじめた商売は関連会社31社(従業員5千数百名)のグループ会社に成長。バリを中心にアジアに不動産資産数百ヘクタール、数十件の自宅を所有。
地元の人々に、学校、病院などを寄付するだけでなく、アスファルトの舗装、伝統芸能の楽団を維持・運営援助、52人の孤児の里親になるなど、今でも困っている人には惜しみなく手を差し伸べる。現地の人からは「アニキ、マルさん、ボス」などと呼ばれ、慕われている。
「その時代に合ったビジネスを、そのビジネスに合ったステージで実行せよ」という独自のビジネス手法や、その破天荒な経歴は、映画化されたベストセラー書籍『出稼げば大富豪』(クロイワ・ショウ著、KKロングセラーズ刊)に詳しい。出演DVDに「ホンマもんの成功法則」がある。
自著に「金のなる木の育て方」や、サラリーマン層の読者を新たに獲得しベストセラーとなった「大富豪アニキの教え」がある。(公式サイトから引用)

兄貴(丸尾孝俊)の言葉

僕は幼い頃から球技が苦手やから
中山くんのこと凄いと思ぅとったわぁ。
ましてやサッカーは
ボールひとつでみんなが繋がれる
素晴らしいスポーツやと思う。
世界中から寂しい子供たちが1人でも減るように
そしてそれぞれの国を思う
情に熱い子供たちが1人でも増えるように
僕もバリ島から
バリバリ応援させて貰いMAX!^^


 ファンキー末吉さん

ファンキー末吉(末吉 覚)さんプロフィール

ファンキーとは自身がファンク指向であったことから付けられた芸名である。

ボーカルサンプラザ中野、リードギターのパッパラー、ベースの江川ほーじんとともに爆風スランプを結成し、リーダー、ドラムおよび作曲を担当している。

爆風スランプの活動と並行し、1984年にクリスタルキングのサポートメンバーを務めたり、ジャズのステージにも立つなど、多方面で活動。爆風スランプの活動休止後、1999年に二井原実 (LOUDNESS) らと共に「X.Y.Z.→A」を結成。また、「夜総会BAND」のドラマーとしても活動する。

1990年には当時アングラ的存在であった中国のロックシーンに触れる。この体験に基づく小説を著すとともに、中国でスタジオ・ミュージシャン、音楽プロデューサーなどの仕事を手がけるようになる。2001年には生活の場を北京に移し、中国を拠点として活動するようになった。こうした経緯から中国語に堪能であり、中国語会話に関連した著作もある。

ファンキー末吉さんより応援メッセージ

カンボジアのくっくま孤児院で「歌を撮ろう」という時にNPO法人ボールひとつが繋ぐ縁の理事、小林くんと出会った。音楽もスポーツも言語を必要としないコミュニケーションが出来るという共通点がある。子供たちの「笑顔」と「希望」を繋いでいく同士として応援をしていきたい。


 YO!YO!YOSUKEさん

YO!YO!YOSUKEさん プロフィール

名古屋市出身
中学高校時代は、ゴールキーパーとしてサッカーに没頭。
23歳の時、イングランドに1年間留学。
その間、ヨーロッパ14カ国を世界遺産、各国のサッカーの試合を中心にバックパックで巡った。
タレントとして、スポーツDJ・イベントMCやTV出演をする傍ら、タレントプロダクション TYK Promotionの代表として育成にも注力している。

応援コメント

僕の人生の大半を占めているサッカー。

若かりし頃、イングランドに留学していた自分にとって、サッカーボールのおかげで誰とでも仲良くすることができました。
まさに「サッカーこそ国境を越える共通言語」と感動したのを今も覚えています。

言語や文化、価値観の壁、そういった色々なモノをサッカーボールがぶち破ってくれる…
ボールがつなぐ縁というのは、日本国内だけでなく、世界中まで広がっています。

そんな活動の支援をできる事を心から嬉しく思います。
現在は、名古屋グランパスのスタジアムDJとして、日本サッカーに貢献する活動がメインですが
自分の存在が、このような素晴らしい活動の一助になれるならという思いで仲間に加えていただきました。

僕らの活動や発信が、海を超えて何かの助けになれたら幸いです。

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